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同じく8時にバス停へ。紙を差し出し、同じく言われるがままにバスへ。昨日は中国語がわかる人と一緒だったので、安心であったが、今日は日本人は僕ら2人だけのようである。でも昨日のおねえさんがいた。今日は連れのひとが来たらしく、2人での参加だったが連れの男は結構いけてない。不釣合いである。ちょっとがっかり。

今日は一日乗り切れるのかかなり不安である。しかも、昨日と同じくどこに連れて行かれるのかわからない。多分、また歴史テーマパークに連れて行かれるのだろうと思っていたら、前方に「世界七大奇跡館」なるものを発見。絶対入るだろうと思っていたら、素通り、ああ、良かったと思ったのもつかの間、やっぱり、歴史館である。そこでは、西安事変についてのテーマパークで、戦時中の抗日運動に関する解説が多い。実際に戦争を体験していない世代の僕らであるが、やはり、なにか肩身の狭いものを感じざるを得なかった。始皇帝陵、その地下を再現したテーマパーク、など結構面白いところに案内されるが、いかんせん解説の中国語がほとんど理解できず、悲しい。でも、ガイドのお姉さんはとてもやさしい人で、何時に集合とか、僕らが聞き逃した重要なことを、ゆっくり教えてくれた。また、同乗のウーハンから来たと言う中年の夫婦も、辞書をつかってすごく親切に話をしてくれた。その夫婦の旦那さんの方は、顔が怖く、態度もデカく、黒スーツ黒シャツに金時計と最初はヤクザ?と思うほどであったが、実はとてもいい人だった。なぜか泊の実家の父を思い出した。ちなみに一緒にいた女の人はまずまずきれいな(でも年齢不詳)人だったが、口ひげのようなうぶげが生えていたのを相原は見逃さなかった。

そうこうしているうちに、今日の二番の目的地である兵馬庸に到着。1時間半の自由時間をもらい、一号庸から見学するが、とにかく、圧巻、圧倒、何千もの兵士の偶像が整然と並ぶ様には、言葉を失う。もはやこれは精巧に再現された町そのものである。あまりにもスケールがでかい。やっぱり中国ってすごすぎる。

でも、考えてみると、これって、子供が箱庭に人形を並べるのと、感覚としては同じなんじゃないか、とも思う。だから、もしかしたら、王様は、「んー、やっぱり、そこ、弓矢隊にしよっかなー」とか言いながら、きゃっきゃ言いながら設計してたのかもしれない。ただし、それを作らされる人民の労力を考えると気が遠くなるけど。そんなもんにつきあわされる人民もやってらんなかったろうなー。

なんとか、中国語ツアーも、親切な人々に助けられて無事終了、日本語ツアーの値段の数分の一なのだから、大大満足である。しかも、ガイドブックに載っていないような穴場にも色々連れて行ってもらえるし、(中には子供だましもあったけど)、これはオススメ。願わくばもっと中国語が理解できれば!

夜、ガイドブックに載っている夜市を目指して歩く。途中で、屋台をちょっとマシにしたような家庭料理屋に入る。そろそろ中国語も板に付いてきて、すんなり注文をすませる。まず、メニューをもらい、主食(麺かご飯もの)を「これとこれ」と言う感じで注文、あとはオススメを聞いてそれを注文する、というプロトコルが出来上がってきた。一応、無難な線で、麺とチャーハンと肉の炒め物などを注文。どれも、かなりおいしい。麺は相原が食べたがっていた弓削麺である。いかにも削りました、という面白い形の麺は食感もなかなかおもしろい。食後、店のおじいさんに夜市の場所を確認するが、このあたりには無いよ、と言われ戸惑う。しかしとりあえず、ガイドブックを信じてひたすら歩くと、やっぱりそこにあった。裸電球の下に屋台が並び、威勢の言い声が飛び交う、まさに市場。ご飯を食べたばかりだと言うのに全部おいしそうである。しかも、流しのミュージシャンも結構おり、非常に賑やかだ。そこで、さっき食べた弓削麺の作り方を見た。かなり感動。それにしても、庶民の生活の匂いと言うか、活気のあるところは歩いているだけで面白い。もはや西安っ子気取りである。結局何も買いも食べもせず、ホテルに戻るが、今日もなかなか面白い一日であった。でも、もう明日北京に発たなければならず、ぜんぜん時間が足りない。せめてもう一日西安に居たかったなぁ。やっぱり、悠久の歴史の国を10日で回ろうなんてむちゃなのかもしれない。

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